妻の出産レポート

はじめに

2021年3月31日、つらい陣痛を経て妻が第一子を出産した。幸いなことに、ほとんど全ての過程を見ることができた夫として、この日と、この日に至るまでの数日間について忘れないよう記録しておく。

3/29 23時:陣痛開始するも様子を見る

 3月29日の23時半ころ、就寝しようとして床についたとき、突如として10分より短い間隔で陣痛に襲われる。事前に聞いていたのは「陣痛の間隔がだんだん短くなり、10分(初産婦の場合)になったら産院に連絡して」だった。まず妻と話したのは、「これは陣痛なのか否か」である。計画分娩等を除くほとんど全ての初産婦がそうであるように、陣痛は初めての経験である。この痛みが陣痛かどうかなんて分からない。
 しかし確かに痛そうだ。急遽スマートフォンのアプリ「陣痛きたかも」をインストールし、間隔を測ると10分よりも常に短い。調べると、陣痛と前駆陣痛というものがあり、後者は前者の練習のようなものらしい。いきなり始まった痛みということで、これは前駆陣痛かもしれない、ということもあり、つらいがしばらく様子を見ることにした。結論としては、この痛みは恐らく陣痛であった

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アプリ「陣痛きたかも」のスクリーンショット。中央列が前回からの痛みのインターバル、右列が痛みを感じている時間。当初から10分を下回る間隔で、1~2分の痛みが来ていることがわかる。


3/30 1時:なぜ様子を見ることにしたか

 これを書いておかねばならない。理由は大きく3つある。


 1つめ、なんとか耐えられそうな痛みであった。確かに痛いが、1分ほどで痛みは収まり、次の痛みが来るまでは寝られる。痛みと痛みの間隔は、最初5~8分ほどで始まったが、12分など10分を上回る間隔のときもあり、その短い間にも妻は寝息を立てて寝られた(当然、痛みと同時に目覚めてしまうが、まったく寝られないわけではなかった)。
 2つめ、この時点で3月30日だった。妻は4月2日以降の出産を望んでいた。年度を跨ぐことで、いわゆる早生まれを回避したかったようだ。早生まれについては色々と議論があり、私たち夫婦も思うところは多いが、それはまた別の機会にしておく。とにかく、3月30日の分娩はちょっと気が早いように思われた。確かに出産予定日は3月31日だと言われていたが、直前の妊婦検診では、子宮頸管まわりがまだ硬く子宮口の開きもまだ1cm、恐らく予定日より遅れるのではないか、との診察を受けていた。
 3つめ、1時32分に念のため産院へ電話したが、様子を見て、さらに痛みが強くなるようであれば来院、と言われた
 これら大きく3つの理由があり、しばらく様子を見ることにした。産院への電話で様子を見ようと言われたのが恐らく決定打だったと思うが、早生まれも頭をよぎった。

3/30 8時:痛みに耐えかね受診するも入院せず

 一晩中様子をみたが、3月30日の朝になっても相変わらず痛みは10分以内の間隔で襲ってくる。夜中、一回だけ痛みの間隔が長かった(約1.5時間)ことがあり、その間に少しは寝られたようだが、痛みに加えて寝不足でさすがにつらそうだ。さらに8時頃お印を確認したことで、痛みの強さはあまり変わらなかったが、やはり一度診てもらうことに。この日、自宅でテレワーク予定だったが休暇をいただき、9時ころ産院へ。NSTノンストレステスト)で胎児の心拍数、痛みの周期、痛みのレベルをモニタしたところ、痛みの周期は確かに短いが、心拍数は安定、痛みのレベルは最大で20後半程度(計測可能最大値は99)で、助産師さんに言わせれば「お腹の赤ちゃんは居心地よさそう」とのことだった(子宮口も3週間前と同じ1㎝)。こう言われてみると、確かにまだ耐えられる痛みかもしれない、とのことで、入院するかどうか問われたが、結局帰宅することに。このとき3月30日の11時ころ。12時間後には再度受診することになる

3/30 24時:いよいよ腰が砕ける痛みに

 痛みは相変わらず周期的に襲ってくるも、まだ子宮口が開いていないと言われたことで、もう少し頑張ろうということになった。助産師さんも、学年が切り替わるタイミングだし・・・と。妻にもその意識があったようで、結局は帰宅して昼食をとり安静にすることに。しかし痛みは全く収まらないどころか、痛んでいる間は歩くなどして気を紛らわすしかないようになってきた。さすがにこの姿を見ていると、この陣痛という仕組みはもっとなんとかならなかったものかと設計思想を問いたくなる。
 痛みが和らぐことを期待して18時頃に入浴。体が温まったことで、多少は痛みの間隔が伸びたようだ。続いて19時頃に夕食。この間も常に痛みが周期的に襲う。まともに食事をできた気がしない。22時を過ぎて痛みが強くなり、痛む部位も下腹部から腰へと変化。気を紛らわすために行っていた歩くことすらできなくなり、ソファにしがみついて涙を堪えながら我慢するように。気づけば5分ほどの間隔になり、続いて24時頃になると5分を切るようになってしまった。

3/31 1時:再びの産院へ

 痛みの周期が5分を切るようになり、さらにその痛みが激痛ともなると、夫としてもいよいよという感じがしてくる。というか、あまりにつらそうなため、むしろそろそろ出産させて欲しい。妻曰く、これが腰を砕かれるような痛みか、と。とにかく、このあたりがもう我慢の限界という結論になり、3/31の1時頃、産院に電話。大急ぎで産院へ行く準備をする。こうなる時のために、破水から入院まで必要なものを詰めたカバンは妻が事前に用意していたので、カバンを掴むだけであとは身一つで準備は完了した。このあたりは流石の準備の良さである。

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5分を切るような間隔で、1~2分継続する痛みが来ている。この痛みが丸1日ほとんどずっと継続していたかと思うと、さすがに体力的・精神的に限界が来ていたはずだ。このタイミングで産院へ行くのは決して早すぎではなかったし、むしろ遅すぎたように思う。とにかく妻はひたすらに頑張った。痛みが続いた時間で記録できてない部分は、半ば気を失いつつあったため、とのことで、ここにも激闘の跡が見られる。

3/31 1時半:受診

 産院へ到着後すぐに診てもらえるかと思いきや、激痛に悲鳴を上げながら、COVID-19の問診票に記入。仕方ないことだと理解はしていても、夫としてはどうにも納得は難しい。しかしその後すぐに助産師さんに入院する居室へ通され、妻は渡された服に着替えることに。その後「次にこの部屋へ来るのは、出産後です。」と言われたことで、いよいよお産という実感がじわじわと湧いてくる。激痛に呻きながらなんとか着替え、妻は助産師さんと居室を後にし、一人残された私は隅の方にある椅子に座って待つ深夜1時半。妻の身に何が起きているか全く情報が入ってこず、この時間は永遠に続くかと思われた。

3/31 2時:分娩室へ

 居室の電話が鳴る。私が案内されたのは他ならぬ分娩室。分娩台には妻が座っていた。既に無痛分娩のための硬膜外麻酔が始まっており、聞くと、子宮口は3センチ開いており、少しずつ陣痛促進剤を入れながら進めていくとのこと。そして、だいたい昼頃の出産です、と告げられる。


 妻の左手には陣痛促進剤の点滴の管、腰から胸元には硬膜外麻酔の管、腹部にはNSTノンストレステスト)の装置が、そして口元には酸素吸入器が設置されており、病気ではないと分かっていても病床の妻を目の前にしているようでつらかった。一方で妻の表情はかなり軽くなっており、聞けば麻酔の効果で痛みをほとんど感じなくなり、だいぶ楽になったとのこと。NSTの数値を見ると、胎児の心拍数は安定、痛みの周期は4分ほど、痛みのレベルは痛みピーク時に計測可能最大の99に張り付いており、やはり先ほどまで感じていた痛みはこの最大くらいの痛みだったのでは?ということで、妻はよく頑張ったな、という気持ちと、もっと早く受診すべきだったなという気持ちが同時に来た。しかし今では軽く眠れそうだ、とのことで、妻はこのまま分娩台で、私は居室へ戻り妻が寝る予定のベッドで仮眠をとることに。居室と分娩室の行き来は自由にできるということで、1.5時間後にもう一度様子を見ることにした。

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最大値まで張り付く陣痛レベル。この急峻な立ち上がりを見ると、120くらいは優に超えていそうであるが、2桁台の値を確認することに意味があるのであろう。麻酔で痛みがないこと、胎児の心拍数が安定していたことが大きな安心材料であった。

3/31 3時半:ただひたすら待つ時間

 仮眠を取ろう、ということになりはしたが、目は完全に醒めてしまっており、結局30分ほどしか寝られなかった。それでも、少しでも寝られたのはかなり良かった。妻も少し寝られたようで、顔色も良くなってきていた。30分ほど一緒に過ごしたあと、まだまだ先は長そうだ、ということで再び仮眠を取ることに。

3/31 5時:陣痛促進剤を増やす

 再びの仮眠を終え様子を見に行く。子宮口は6センチ。1時間に1センチほどずつ拡大しているようだ。陣痛促進剤を増やしてもらい、引き続きひたすらに待つ時間。

3/31 9時:分娩台で朝食

 空腹を訴えると、分娩台前に用意してくれた。麻酔中は飲食禁止のイメージがあったので少し驚いたが、そうではないようだ。出産直前ではあったが、意外にもしっかりした朝食が用意された。私はコンビニへ駆け込み、サンドイッチを胃に流し込んだ。どんな味がしたかは全く覚えていないが、産院の隣の公園の桜が見事に満開であったのを鮮明に覚えている。

3/31 10時:そして父になる

 このあたりから、分娩室へ出入りする人が多くなる。分娩台の姿勢を変え、足を開けるように。定期的に麻酔を追加することで、麻酔の効きが良くなり、この頃には全く足に力が入らなくなっていたようだ。

 助産師さんに指導され、いきみの練習を始める。吸引分娩の可能性を示唆されるが、母子共に元気でいてくれれば何でも良いと思った

 助産師のみでなく医師も登場。つい先ほどまでいきみの練習をしていたかと思っていたが、お産のためのいきみに移行しており、急にカメラの用意を指示される。が、どのタイミングで生まれてくるか全く見当がつかない。吸引分娩とすることにいつの間にかなったようで、あっという間に子が誕生。初めの陣痛開始から約36時間。痛みが一段と強くなってからは約18時間のお産であった。

おわりに

 10分間隔の陣痛が24時間以上も続いたことで、精神的・体力的に妻はかなり疲弊したと思うが、それでも硬膜外麻酔による無痛分娩にて、お産自体は安産に恵まれたように思う。妊娠期から含め頑張ってくれた妻と、生まれてきてくれた子のため、夫として、父としてできる限りのことをしていきたいと思う。

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産院隣の公園の桜。来年は妻と子と見たい。